図書情報室
AはアセクシュアルのA ―「恋愛」から遠く離れて―
78/カ
リトルモア
「恋愛してこそ一人前」という無言の圧力が満ちる社会で、本書は研ぎ澄まされた知性と透き通った言葉でその規範を解体する。アロマンティック/アセクシュアルである著者が綴るのは、他者に自身の輪郭を預けず、一個の独立した存在として立つことの誇り高い宣言である。
友情を恋愛の下位に置く序列や、「良かれと思って」投げかけられる善意の暴力を鋭く問い直す一方で、本書が提示する「ひとりの自由」はどこまでも美しい。恋愛というルールを通さなくても、私たちはもっと豊かで自由な世界と繋がれる。社会の「当たり前」に息苦しさを感じ、自律を願うすべての人に、ひとりで立つ勇気を授けてくれる一冊だ。
男性のいない美術史 ―女性芸術家たちが描くもうひとつの物語―
15/ヘ
パイインターナショナル
ルネサンスから現代までの400年以上にわたる女性芸術家たちの作品の数々を、フルカラーで紹介する。掲載された300点もの作品を見て、初めて知る名前のなんと多いことか!
「歴史」の分野で登場人物が男性中心であることは当然で、そのことを疑問に感じたりするよりは、あきらめの方が大きかったように思う。そこで、本書のように、今まで注目されてこなかった女性たちの働きに注目されることが嬉しいのだ。これは美術史に限ったことではない。
厚みも重みも相当な本書は―貸し出しも可能ではあるが―、ぜひ、ご来館のうえ、ゆっくり閲覧されることをお勧めしたい。
到来する女たち ―石牟礼道子・中村きい子・森崎和江の思想文学―
108/ワ
書肆侃侃房
九州に縁のある三人の女たち-石牟礼道子・中村きい子・森崎和江-は雑誌『サークル村』に集い、資本主義と家父長制の二重の抑圧の中で自らの言葉を書き綴ることを始めた。それは女の思想のはじまり、わたしたちのフェミニズムのはじまりだった。本書は三人の表現を思想文学として読み解き、それぞれの個別活動の交差する地平を検討し、聞書きという受動と能動のいずれもがたたみ込まれた行為の可能性を追求している。
孤立させられ沈黙を強いられてきた女たちの声は不揃いのまま結びあい「わたし」が「わたしたち」になる。余韻ある結びの一文まで引き込まれ、読み手の心に大きな力が到来する一冊である。
リプロダクティブ・ジャスティス ―交差性から読み解く性と生殖・再生産の歴史―
81/ロ
人文書院
「産む/産まない」を選択する権利は、あらゆる人に保障されるべきである。しかし、すべての人がその権利を行使できているのだろうか。例えば、貧困を理由に避妊や中絶をせざるを得ない女性は主体的に“産まない”選択をしていると言えるのだろうか。本書はアメリカの人口政策、裁判の歴史を元に、人種、階級、ジェンダー、障害、国籍、セクシュアリティなどの要素が交差する地点で、家族を持つ権利の抑圧と、生殖をめぐる不平等がどのように生まれてきたのか明らかにする。
生殖を「自己責任」や「個人の選択」として語る言説に疑問をもつ読者に、本書はその前提を問い直す確かな視座を与えてくれる。
私のからだは私のもの
74/ヒ
高文研
本書は、日本社会に根強く残る「レイプ神話」が、被害者の声をどれほど奪い、追い詰めてきたのかをわかりやすく示している。若い世代ほど神話を受け入れやすいという調査や、性暴力を軽視してきた文化や教育の不足が紹介され、問題が個人ではなく社会全体の構造にあることが浮かび上がる。性売買の歴史や日本軍「慰安婦」制度、教員や政治家による性暴力の事例などを通し、被害者が声を上げるまでの不安や迷いにも丁寧に寄り添う視点が印象的だ。私たちに求められるのは、被害を疑わず、声を受け止め、沈黙を強いる空気を変えていく姿勢である。「私のからだは私のもの」と誰もが言える社会の実現に向け、重要な気づきを与えてくれる一冊だ。
ことばに潜むジェンダー —学校・本・テレビ・日常のなかのもやもや—
124/エ
明石書店
従来の「女らしさ」「男らしさ」の規範意識やいろいろな分野での性差別意識を温存するものの一つに私たちの日常使っている「ことば」があると筆者は言う。小学校の教科書はジェンダーレスになってきているが、その教材を扱う教員や子供たちの家庭、取り巻く社会が変わらなければ、子どもたちには伝わらない。本書では、男女の呼称「さん」「くん」「ちゃん」に潜む問題点や、マンガの男女別のセリフの語尾の書き方やテレビでのジェンダーの表現など具体的な事例を示している。差別的であったり実情に合わなくなったことばを、自分達の表現したい内容を伴ったことばに選びなおし、探し続けていこうと伝えている。









